傲慢と善良|辻村深月|読書会

読書感想

辻村深月さんの小説『傲慢と善良』を読みました。 タイトルからは“結婚”や“婚活”についての話かなと予想していたのですが、 実際に読み進めてみると、もっと深く、人の内面を詳細に描く緻密で普遍性もある内容でした。

主人公・架と真実の心の動きや、意思決定に至るプロセスが全編にわたって緻密に描かれており、まるで自分の内面がそのまま言葉になっているような感覚を覚えました。

自分の心の動きがそのまま言葉になっているような感覚

主人公・架と真実の心の動き、そして決断に至るまでのプロセスがとても丁寧に描かれていて、 まるで自分自身の気持ちが物語の中に映し出されているようでした。

普段あらためて振り返らないような、人の嫌な部分、曖昧な感情。人の意思決定がどのようなメカニズムが働いているのか―― 婚活や男女の恋愛関係を通じて、「ああ、こういうことあるな」と思わず頷いてしまう場面が多くありました。

「善良」より「傲慢」に心が反応した

私は「善良」の側面よりも、「傲慢」の描写のほうに共感することが多く、思い当たる節があるというか、読んでいて刺さりました。

細かなエピソードには触れませんが、読後に考えたことをまとめると以下のようになります。

「自分は特別」だと思うのは、生き残るための本能

『傲慢と善良』を読んで考えたのは、人は生まれながらに傲慢さを持っているということです。それは、特別な誰かに限らず、すべての人に共通して備わっているものだと感じました。

それは決して「悪い」部分ばかりの感情ではなく、 人類が生き延びてきた背景にある、本能的な自己保存の意識だと私は思います。

自分は特別、自分だけは違う―― そんな傲慢さがあるからこそ、困難にも向かっていける。 そしてそれは、人間なら誰しもに備わっている、ある種の“当たり前”なのだと思いました。

だからこそ、傲慢さを一概に否定する必要はなく、それを理解したうえで、適切な距離感を保つことや、自分自身を俯瞰して見る視点を持つことが大切だと感じました。そうすることで、傲慢さは「悪」としてではなく、人間の自然な一側面として受け止められると考えました。

完全な正しさ」は存在しない

また、傲慢さが一切混じらない、100%公平で正しい選択というものは存在しません。人が何かを選ぶときには、必ず個人的な主観や欲望が介在しており、完全に中立な判断など存在しないと思います。

物語の終盤で真実が選ぶ決断は、強く肯定されず、否定もされず描かれています。

それは、人が持つ傲慢さや善良さを、否定でも開き直りでもなく、適切な距離を取りながら受け入れて生きていくしかないという、人としての「あり方」を示しているように感じました。それが真実にとっての、そして読者にとっての“最善の方法”なのだと思いました。

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